尾高城跡

(おだかじょうあと)

後ろに大山、前には弓ヶ浜と日本海を望む風光明媚で広大な敷地の中に尾高城跡は、米子市の文化財に指定されています。
土塁と堀に囲まれた方形館跡と、北から二の丸、本丸、中の丸、天神丸と続くこの城跡には当時の城の雄姿を偲ばせます。

室町時代、尾高城は中世の東西交通路をおさえる西伯耆の軍事上の中心地。
戦国時代は行松氏累代の居城でしたが、尼子方武将吉田光輪が代わって城主となりその後、伯耆因幡制覇の毛利方の武将杉原播磨守盛重が転城し、要害となりました。尼子方の武将「我に七難八苦を与えたまえ」の名言を残した山中鹿之助は、幾度の戦後この城の虜因となり、数十回の厠通いで城兵の油断を誘って汲み取り口から逃げ出したという逸話も残っています。

江戸時代初期に米子築城を受けて尾高城は廃城となりましたが、米子城主である中村一忠は米子城完成までこの尾高城に在城していたといいます。

現在では、尾高城を含むこの一帯は、尾高城址梅園、桜の園、尾高城址あじさい園、武家屋敷跡基礎復元、日本庭園、自由広場、体育館、テニスコート、ゲートボール場、宿泊施設など四季とりどり楽しめ、自然と親しむ憩いの場として整備されています。

特に梅の花の美しさは昔から知られるところ。
梅の咲く時期なると、咲き誇る美しい梅花を一目見ようと遠方からわざわざ足を運ぶ人も少なくありません。

尾高城跡

住所
鳥取県米子市尾高2377
お問い合わせ
米子市観光案内所
TEL 0859-22-6317
アクセス
JR米子駅から車で約20分
米子自動車道「米子IC」から車で約3分